「何者にもなれなかった人」だとしても
30歳「何者にもなれなかった…」
40歳「何者にもなれなかった…」
50歳「何者にもなれなかった…」
60歳「何者にもなれなかった…」
70歳「何者にもなれなかった…」
75歳に死去。
「何者にもなれなかった」とこぼす人生でも、それなりに生を全うしたら、それはそれで悪くない気がする。
今ここにいる場所は昔に夢見た場所と違うかもしれない。それは誰のせいでもない。自身の行動の積み重ね。自身を責める反面、仕方ないとあきらめも入る。そうしないと生きていけない。
進学、就職、結婚、子育て、と人生にはイベントがある。そのイベントで失敗した。でも、そのイベントが人生のすべてでない。生きるこそ人生における最大の目的。
マイケースとして、生きているからこそ小さな幸せに巡りあえる。
友人と再会する。おいしいものを食べる。まだ見ぬ土地へ行く。欲しいものを買う。新しい漫画を読む。素敵な音楽にであう。話題の映画を観る。新たな知識を身につける。ブログ記事が注目される…etc
これから先だって、私は何者にもなれないかもしれない。それでも、毎日を積み重ねていく。生きていれば、それなりに人生を楽しめる。
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プロフィール
・周藤 卓也(しゅうとう たくや)
1983年 福岡県生まれ。
150カ国と13万1214.54kmの自転車世界一周を達成。
次なる夢は福岡でゲストハウスの開業。
WEBライターとしてGIGAZINEで連載