【近況】シンガポール到着で「ツール・ド・パシフィック」の完成
空港から電車に乗る。
あの海の向こうにある島国を周っていた。
懸念はしていたけれど、ブリスベンからゴールドコーストの移動は、やはりめんどうだった。ソロモン諸島のホニアラから、オーストラリアに戻るのにブリスベンという選択。だが、ブリスベンからアジアに戻りたくても、LCCが飛んでいない。LCCの発着は、近くのゴールドコーストが担っている。ブリスベンから、どうやってゴールドコーストに行くか迷ったが、電車で近くまでよせて、そこで自転車を組立てて空港まで自走。
翌朝は7時のフライトだから、前日は空港で待機という計画も、ゴールドコーストの空港は24時間空いていない。そして、肝心のフライトは9時と、勘違いしていた。空港のWi-Fiで宿を探すと、歩いてすぐの距離にYHAがあることが判明。ただ、自転車はパッキングしてしまったので、大きな荷物を抱えて宿まで行く。苦行。お金は全部使い切ったので、ビザカードで決済。眠ってしまって、乗り過ごすのが怖かったので、ずっと起きていた。マレーシアから始まったフライトの連続を、7本までこなした最後の1本。気が緩んでしまい、いろいろ甘かったと反省。
そして、無事にシンガポールに到着。ここでひと区切り。
初めての海外だったオーストラリア。
牛にモテモテとなったニュージーランド。
豚がいっぱいだったエウア島があったトンガ。
「Bula(ボラ)」というこんにちわの挨拶が心地よいフィジー。
32歳の誕生日を迎えたバヌアツ。
死んでいった彼らのためにも、しっかり生きようと改めて感じたソロモン諸島。
あまり訪れる人はいないけれど、毎日いろいろな発見もあって、思っていたより楽しい旅だった。比較するならカリブ海だけど、独立国となった旧イギリス植民地は、画一化されていて変化にかける。それからすると、太平洋の国々はそれぞれ違いがあった。人種構成も複雑で、トンガはアジアに近い人たちで、フィジーやバヌアツはアフリカに近い人たちが住んでいた。フィジーやバヌアツのおばちゃんの頭はチリチリのボンバーヘッドとなる。人当たりが柔らかいので、写真を撮るのも楽しかった。ここは、記事としてまとめたいところ。
「ふふふふ、8つのフライトをよくぞ乗り切った」
「だが、安心するのはまだ早い、次は5本だ」
と新しいラウンドに入る。次はエチオピアまででひと区切りの予定。あと6カ国で150カ国。
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・周藤 卓也(しゅうとう たくや)
1983年 福岡県生まれ。
150カ国と13万1214.54kmの自転車世界一周を達成。
次なる夢は福岡でゲストハウスの開業。
WEBライターとしてGIGAZINEで連載