還暦を迎えた元バックパッカー
べリーズの楽園キーカーカー島で1970年に世界を放浪していたという旅人に会った。あの頃の日本は弱かった。500ドルしか持ち出すことができない。ただしシベリア鉄道は前払いが可能だったので、ヨーロッパまでは行けたそうだ。そこからは数年は世界中を回っていたらしい。足りないお金は皿洗いや、アクセサリーを売っていたそうで。
エジプトのナセル、スペインのフランコ、エチオピアのハイレ・セラシエと歴史上の人物が活躍。チェコ、ハンガリー、ポーランドといった東欧では強制両替の制度が存在と歴史を感じた。だが「ピレネー山脈を超えたスペイン・ポルトガルは西欧ではなかった」「ケニアの首都ナイロビにそびえ立つ高層ビルに感動した」という辺りは今と変わっていない。「アフリカではブルース・リーが流行っていてチン、チョンと言われては喧嘩沙汰になりそうだった」と聞いて、「あいつらは昔から変わっていないのか」と相槌を打つ。旅に出る前までは学生運動の影響もあって左的な思想だったが、海外に出て世界を知って日本を知る。
「おやじさんが倒れた」という話を聞いて旅を終えたのがニュージーランドだけど、帰国したらピンピンしていたそうで。この帰国もシンガポールに飛んでタイまで陸路移動と、格安航空券などない時代でなんやら難しい話をしていた。
それでも28歳に就職する。帰国をしてから、旅の前に喫茶店でアルバイトしていたころの同僚と再会して恋愛関係に。プロポーズの際には「今まで自由に旅をしてきたから、これかは家庭を築いていく」と彼女の目の前でパスポートを破りさる。一度転職はあったが定年まで務め上げ、子ども一人前に育て上げた。定年退職した今では、人並みほどに年金も出るそうで。一仕事やり遂げて、今はのんびりと旅をしているようだった。
話をしていて、これからの生き方を考える。60になるまで歳を重ねた時、自分には何が残っているのだろうか。
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・周藤 卓也(しゅうとう たくや)
1983年 福岡県生まれ。
150カ国と13万1214.54kmの自転車世界一周を達成。
次なる夢は福岡でゲストハウスの開業。
WEBライターとしてGIGAZINEで連載
コメント
戦後生まれの人は
経済発展とともに成長してきて
幸せだったろうね。
>>
右肩上がりの経済成長の中、「公務員なんて誰もなりたがらなかった」と言っていたのが印象的でした。
ただ、30歳になった自分も、今の子どもをうらやむように、これからしかわからない楽しみもあるでしょう。100年後はどうなっているのか考えるとワクワクしますしね。
青年バックパッカーを目指し。
オデッセイの季刊号を読み漁って国外の情報を入手していました。
一日3ドル(1080円)だったら俺でも行ける!
就職が内定(親が怖かった)、10ヶ月アジア欧州を貧乏旅行し10kg減で帰国。
就職中は最大5日間の海外短期旅行にストレス。
子育ても終わり、
早期退職56歳から再び残りの国々を旅行ではなく
やっぱり金が無いので徘徊になってしまいました。
(残りの人生短く、旅の体験は社会貢献度期待が薄い)
後に続く者へ、
初老でも出来る体験を簡易なネットブログに投稿することが
生き甲斐になりました。
この34年で旅行形態は激変!
(スマホGPS付・ネット環境、ATM普及T/Cの廃止、LCC航空etc)
旅行も安全第一だから?
これからも、
みどくつしたさんの情報の如く浦島太郎化せず、
常に情報は進化し続けますね!
(固定概念のガラパゴスを好む人もいますが)
>>7onbのブログ・地球徘徊中 様
コメントありがとうございます。ブログを探してみたのですが、なんとたくましい方で。http://ameblo.jp/hosaka011/
アタカマであったご年配の女性はスマホ、タブレット、パソコンを使いこなしていました。旅も変わってきますね。特にアフリカは少しずつですが、旅がしやすくなっているようには感じます。この先にはどんな国でも旅できるくらいに世界が落ち着けばいいですよね。
自分も歳をとっても、旅がしたい。そんな自由が作れるように、就職したらまじめに働きます。ww