15歳からの終活は消えてしまう前に世界を見たかった
初めて死を意識したのはノストラダムスの大予言だった。小学校高学年くらい。子ども向けの雑誌に1999年に世界が滅亡するとあって背筋がゾクッとした。あと5、6年ですべておしまい。不安が胸をかきむしる。でも、まだ幼すぎた。死とは言葉でしかなかった。
小学校に入ってすぐの頃、母方の祖父が亡くなった。母の実家がある島原でお葬式をしたことは覚えている。もう会えなくなることは分かった。でも、死の意味まで知らない。
死の本質を理解したのが中学3年生の体育の時間。それまでも太陽はあった。私がいて、太陽があった。でも、2つが過ごしてきた、過ごすことになる時間は比べ物にならない。だとするなら、自己の存在なんてあまりにちっぽけだった。私は世界の主人公じゃなかった。いつか人生には終わりがやってくる。そのことに気付くと、太陽の光をやけにまぶしく、やけに暖か感じた。これまでの世界が、すべてが崩れ去ってしまったので、太陽の存在に疑問を抱いたのだ。生きていくことが、当たり前じゃなくなった。
「生きるとは」「世界とは」そんな疑問を解決したくて本を読み漁る。そこで巡り合ったのは「ソフィーの世界」という本だった。「あなたはだれ?」と少女ソフィーは差出人不明の手紙を受け取ったところから物語が始まる。少年少女向けに書かれた哲学の入門書だった。目に見えているものが、世界の全てではない。プラトンの「洞窟の比喩」を理解したときには全身に稲妻が走った。
高校受験を控えていたが、いずれ死んでしまうことに、居ても立ってもいられなくなった。いかにして生きるか、いかにして人生を終えるか、その答えは世界をこの目で見て回ることだった。「自転車世界一周」という夢がみつかった。その夢をかなえるべく、アルバイトのできる高校を受験した。私の終活は、15歳から始まっていた。
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・周藤 卓也(しゅうとう たくや)
1983年 福岡県生まれ。
150カ国と13万1214.54kmの自転車世界一周を達成。
次なる夢は福岡でゲストハウスの開業。
WEBライターとしてGIGAZINEで連載