富士山では外国人を相手にしていた
(富士山アルバイトは栄養ドリンクなしではやってられないブラック企業、賞味期限切れのアミノサプリが支給されます。ww)
富士山ではよく働いた。厨房と聞いていたけれどレジ業務だった。外国からのお客さんも多く、たくさんの外国語を使えて楽しかった。レジは手打ちだったけど、高校の頃のスーパーマーケットで経験していたのでやりやすかった。ソフトクリームを巻くのも、ファミリーレストランでやったのでできた。あとは自動販売機の補充もさせてもらった。
・世界各国でありがとう。
ロシア人かなと思ったら、ポーランド人だった。盗み聞くだけでは判別付かない。
同じようにスペイン語、ポルトガル語、イタリア語は似ているので「どこの国ですか?」と聞かないと返せない。
ただし、フランス語の会話は聞き取れるので、「メルスィボク」といきなり返すとびっくりしてくれて楽しい。
団体でロシアの客が来たときは「スパシーバ」と言っていた。
山のように来る中国人と違って韓国人は少ない。でも「コマスミダ」も使った。
一度だけ英語のできるインドネシア人の接客をした。記憶の片隅に残る「トゥリマカシ」を伝えることができた。
タイ人もやってくる。男性と女性で言い方が違うんだけど、「コップンカー?」「コップンハーだっけ?」
・中国人観光客。
富士山には中国人観光客が多かった。中国のクレジットカード「銀聯」も使える。ただし、中国人観光客のマナーは悪い。大声で騒ぐ、店内で写真を撮る、列に並ばないといつもいらいらさせられた。日本に来る人たちはエリートなはずなのに。部分部分で分かる言葉があるので、いつしか中国語が話せる人になって呼ばれていた。ただし、必ずしも中国語が必要だったわけじゃない。旅の感覚であしらっていた。アイヤー。ただ、「辣不辣」は辛くないか聞かれていたり、商品で遊ぶ子供に「これ買不買」と言うと反応があったり、「空気缶」は中国語でもピンと来た。刺激があって楽しかった。
アメリカ大陸ではスペイン語を覚えるので、ある程度使えるようになって帰ってきたい。フランス語、中国語よりは出来るようになるはず。
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・周藤 卓也(しゅうとう たくや)
1983年 福岡県生まれ。
150カ国と13万1214.54kmの自転車世界一周を達成。
次なる夢は福岡でゲストハウスの開業。
WEBライターとしてGIGAZINEで連載