ウエストポーチ
日本一周の時は何も付けていなかったが、今回はウエストポーチをつけてみる。05/11/28
貴重品をこの中に入れて常に持ち歩いている。走行中は別にこれで構わないのだが、キャラバンパークやドミトリーのバックパッカーなんかでの滞在中にはかさばってやっかい。くたびれてきているので日本帰還時には交換か?完全防水のウエストポーチなんかはないものだろうか。07/11/19
日焼けしていて、底に穴や、背面が破けたりして、かなりくたびれてきた。日本帰還まで使って、新調したい。08/02/12
香港から一時帰国する事になった際に捨てた。いつも一緒にいた相棒だった。よくやってくれた。08/12/12
パシフィックアウトドア 防水ウエストポーチ・バラード、ヤフーオークションで手に入れる。貴重品とすぐ写真を撮れる様にデジカメを入れる。ポーチの利用は盗難の危険もある為に考え所だが、これを守る為には戦うという強い意志で持ち歩きたい。それでも危ないと予想される所では使用しないだろう。走行している時はこれが便利。フロントバッグだと取り外さないといけないし。走っている時に雨が降ると悲惨を極めたので、防水使用のこのポーチにしてみた。09/04/15
がちの雨に放り出すと、水が浸透してくる。後、汚れやすい。ポーチは便利だけれど、貴重品はココですよと、教えているみたくて怖いのは怖い。ちょっと考えている。バタム、ジョホール、ハノイ、蘭州と4箇所でスリ未遂にあっている。ポーチを後ろに回すと格好の的なので気をつけて欲しい。09/08/12
このように、ウエストポーチを身につけて走っていた。09/12/10
貴重品は結局、マネーベルトに入れている。こちらの方が安全だ。ウエストポーチにはメモ帳や辞書などしか入れていない。やはり雨は染みてくる。10/01/25
防水ポーチのファスナーが噛み合わなくなってしまう。不便を感じたところ、フランスでそれなりの中華製ウエストポーチが売られていた。路上市のような感じで黒人の店主とディスカウント交渉の末に購入。ヨーロッパなのにアフリカらしい買物とだった。10/11/17
ベルトの調整ができなかったので、肩掛けスタイルで走る。11/09/24
古くなったのでウガンダのバッグ屋さんで新規購入。11/10/27
だが、このポーチは長持ちしなかった。12/03/14
アメリカのウォルマートでポーチを新調する。中華製だが作りはしっかりとしていた。12/10/17
このように、ウエストポーチを身につけて走っていた。そもそもポーチはカメラを入れるのが目的だった。オーストリッチのフロントバッグは開け閉めに手間がかかる。アメリカ大陸からオルトリーブのバッグに変えた。それからはフロントバッグに一眼レフ。ポーチにコンデジと使い分けている。ポーチには、デジカメ、スマホ、多機能ナイフ、懐中電灯、防犯スプレーなどを入れていた。13/04/13
落とさないようにカラビナは必須。ダブルリングで引っ掛ける場所を作っていた。14/01/16
古くなったのでパラグアイくらいで新しいウエストポーチと交換した。丈夫なバッグなので捨てるには惜しく、ベルト部分を切断しサドルバッグとして再利用。ヨーロッパ縦断を終えてタイに飛ぶ前のアイルランドで破棄する。14/08/19
中華雑貨店で1万グアラニー(約250円)と破格のウエストポーチを発見。それなりに、使えそうだったので購入して使っていた。ただ、どうもベルトの長さが調整できない。緩くなる。それでも、走行中ならサドルがあるので落ちることはない。その油断が隙を産む。
・イタリアの悲劇
イタリアで走っていた時だった。キャンプできそうな場所までやって来て、ようやくほんのひと息としたいのにない。ポーチがない。落としてしまった。大事なものが入っていた。被害の大きさに青くなる。居ても経ってもいられず、とりあえず戻ってみた。目を凝らして道路をみつめるも、私の黒いポーチは見当たらない。どこで落としたのかも分からない。もしかしたら駄目かもと諦めそうだった。
数キロ戻っただろうか、前からおっさんが歩いてくる。何と、そのおっさんが私のポーチを手にしていた。説明を試みるが、イタリア語しか通じない。ただ、言語が近いスペイン語から何を言ってるのか推測する。おっさんは心配だったのか「中に何が入ってるのか」と聞いてきた。「カメラにスマホが入っていた。大事なものなんだ」と必死で答える。その答えに、安心したのかポーチを返してくれた。言葉が理解できずに心配したけれど、普通にいいおっちゃんだった。「ありがとうありがとう」と礼をして「コーヒーでも飲んで」と5ユーロ札を握らせる。
一時はどうなることやらと焦ったが、ちゃんと見つけることができた。この失敗に懲りて、このポーチは鞄に入れて持ち運ぶ。そして、どこかで捨てた。
関連記事
・周藤 卓也(しゅうとう たくや)
1983年 福岡県生まれ。
150カ国と13万1214.54kmの自転車世界一周を達成。
次なる夢は福岡でゲストハウスの開業。
WEBライターとしてGIGAZINEで連載